Mr.Childrenのシングル"フェイク"が好きだ。
ということで、この曲がいかに優れているかを語らせてもらいたい。
Mr.Children"フェイク"の歌詞の意味を徹底解釈
曲について
「フェイク」は2007年にリリースされたMr.Children30枚目のシングルである。1曲収録のみ、40万枚限定というシングルとしては少し特殊な仕様である。
さらにシングル版は曲が終わった後に無音が流れ(無音が流れるって哲学的な感じだな)、その後にインストゥルメンタルのシークレットトラックが流れるという構成になっている。
そして"フェイク"は映画「どろろ」の主題歌となっている。
妻夫木聡と柴咲コウというドラマ「オレンジデイズ」コンビが主演である。20億円の製作費を掛け、興業収入も34.5億円とヒットを記録したが、「俺たちの戦いはこれからだ!」エンドからの続編の報はない。
監督は2、3作目の構想はあってヤル気満々であったが製作費が膨大になり回収への懸念から配給側でNGになったようだ。
評価は色々言われてはいるが、個人的にはそんなに嫌いではない。
"フェイク"に話を戻そう。この曲は単体でももちろん素晴らしいロックナンバーであるが、この時代のミスチルの背景も少し踏まえて語りたい。
このシングルの前作となるのが"しるし"、この後が"旅立ちの唄"となる。
この頃は小林武史のピアノのあれこれが少しずつ強まりはじめてきていた。それは2004年にBank Bandが誕生し、2005年にはap bank fesが始まるという流れからきている。
そもそもかねてより小林武史のアレンジはわりと目立つものであったが、この頃はとりわけミスチルファンの間でも「小林武史色が強くなった」と云われることが増えていたように思う。
Mr.Childrenというバンドの骨格が揺らぎ、ピアノが主体になったアレンジが増え「Bank Bandとの住み分けがわからない」などの声も挙がっていた記憶がある。
そんな雰囲気の中リリースされたのが"フェイク"だったのだ。
耳について離れないギターリフのイントロ、タイトなリズム隊、そして久しぶりに皮肉がたっぷり込められた桜井和寿の詞と歌声。
この時点でいけば、ムードに風穴を開けるような曲だった。
実際にはこの後さらにピアノ主体となっていきアルバム「HOME」でだいぶ浮く存在となった"フェイク"である。
「HOME」はアルバムとしてはすごく好きだけど。
その後もピアノとバンドの折衷案がどこかズレた感じが続くが、それを打破したのが"REM"であり、そこから続くアルバム「REFLECTION」の流れである。
歌詞について
皮肉たっぷりな言葉たちを見ていこう。
まずタイトルである"フェイク"。
「フェイク」は『どろろ』から着想を得たのだろう。
作品『どろろ』は主人公の百鬼丸が魔物に差し出された48箇所の身体のパーツを取り戻すという作品だ。ちなみにタイトルの「どろろ」は百鬼丸についていく泥棒の名前であるので間違えてはいけない。
「ゼルダの伝説」で緑の主人公がゼルダ呼ばわりされるのと同じことである。
百鬼丸の身体は取り戻すまでは義手、義足、義眼などが云わば「フェイク」の身体として用いられていることから着想されたのだろう。
しかし、そもそも手塚治虫の『どろろ』という作品自体が、水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』が流行した際に「ボクにもできるよ」と手塚治虫が対抗して書いた作品なのだ。
なので、作品自体が「フェイク」という強烈な皮肉となっている。
歌詞を見ていこう。
言ってしまえば僕らなんか似せて作ったマガイモノです
唄い出しから強烈だ。
このフレーズに"フェイク"が歌うメッセージのほとんどが詰まっている。
では桜井和寿が唄う「フェイク」とは何を指すのだろうか。
それは「期待と希望」である。
「本当」を求める主人公が気づくことは、すべてがフェイク(=偽り)であるということ。
たとえば女を抱いてもそこに本当の愛情などなく、女にとって自分は取り替えのきく代替品でしかない。
「本当」を求める主人公が気づくことは、すべてがフェイク(=偽り)であるということ。
たとえば女を抱いてもそこに本当の愛情などなく、女にとって自分は取り替えのきく代替品でしかない。
この辺りは"光の射す方へ"の「ストッキングを取ってスッポッポンにしちゃえば同じものがついていたんだ」にも通ずると思う。
自分の大切にしてきたもの、人、夢、期待、希望、愛、それがすべてまやかしの「マガイモノ」だったとしたら。
けれども主人公は終始「嘘を信じてく」と言い続ける。
それを比喩する「二階建ての明日へと take off」というフレーズが鮮やかだ。
なぜそこまで主人公は嘘を信じていられるのか。
答えは主人公自身もまた嘘と偽りを抱えた存在だからだ。だからこそ主人公は「嘘も偽りも信じてく生きていくしかない」のだ。
その辺りが「どろろ」の主人公の百鬼丸とも重なっているのが巧い。
誰しもが多かれ少なかれ嘘を抱え、偽りながら生きている世界。それを認めること。
ひとつにならなくていいよ
認め合うことができればさ
もちろん投げやりじゃなくて
認め合うことができるから
ひとつにならなくていいよ
価値観も 理念も 宗教もさ
ひとつにならなくていいよ
認め合うことができるから
それで素晴らしい
~"掌"
そこで主人公がたどり着く答えのひとつが「許し合えるなら」であること。
僕らは許し合う力も持って生まれてよ
ひとまず そういうことにしておこう
それが人間の良いとこ
~"口がすべって"
人は矛盾を抱え、偽り生きていたとしても、それを認め合い、許し合えるからこそ素晴らしいのだと。
そして曲の最後にくるフレーズこそが歌詞の最大の肝だ、それが。
というもの。最初から「本当」などないのではないのだろうか。目に映るすべてが「真実」であり、それこそが「現実」なのだ。
それをライヴで完成させたのが「HOME TOUR 2007 -in the field-」なのである。
↑ジャケットが果てしなく可愛い
このライヴで演奏された"フェイク"、そのアウトロで桜井和寿は何度も「すべてはフェイク」と叫び続け、最後の最後に「すべては……そのすべて真実」と結び"Any"が流れる。
すべてはフェイク
それすら…
というもの。最初から「本当」などないのではないのだろうか。目に映るすべてが「真実」であり、それこそが「現実」なのだ。
それをライヴで完成させたのが「HOME TOUR 2007 -in the field-」なのである。
↑ジャケットが果てしなく可愛い
このライヴで演奏された"フェイク"、そのアウトロで桜井和寿は何度も「すべてはフェイク」と叫び続け、最後の最後に「すべては……そのすべて真実」と結び"Any"が流れる。
正直この時の"フェイク"のアレンジ自体は好きではなかったが、この構成は完璧だと思う。
"Any"で歌われるフレーズにすべてが集約されてゆく。
真実からは嘘を
嘘からは真実を
夢中で探してきたけど
そんな主人公が辿り着いた答え。
それこそが、
いつも答えは一つじゃない
そう、本当も嘘も正解も不正解もない。そのすべてが「真実」なのだ。
2002年にすでに答えは示されていたのだ。アンサーソングというものがあるが、5年前にアンサーソングがリリースされているということが他にあろうか。
もとい、桜井和寿の想いが揺るがないからこそ、すべてが一つに繋がっているのだ。
それにしても、この流れは何度見ても鳥肌が立ってしまう。
それにしても、この流れは何度見ても鳥肌が立ってしまう。
やはり大好きな曲だ、"Any"。
ご無沙汰してます。いや、してないかも(笑)
返信削除最近の更新頻度すごいっすね!僕なんて書きたいことがまとまらずにもう1記事書くのに1ヶ月費やそうとしてます(笑)
細かな考察を読んで、そうだそうだ、「HOME TOUR 2007 -in the field-」が初めて観たミスチルのライブだ!と思い出しました。
そして、『フェイク』からの『Any』のアレンジにブワァっと鳥肌が立ったのを思い出しました。
最近のニュースは、何が真実が分からないまま世の中をだた浮足立たせているようで、うんざりしてます。まさに『フェイク』の状態です(笑)
すべては嘘にまみれてるんだろと。
だから、僕は自分の目で、自分の足で、見たモノ確かめたモノが真実。
そんなポリシーを掲げちゃってます。
「HOME TOUR 2007 -in the field-」もう一度見直してみよう。こんなやさぐれた僕を新しい道に進めてくれるだろか。
いつもありがとうございます。
削除最近書くことについてだけ躁状態なのかもしれません笑
HOMEツアーは映像でしか見てませんが、とても大好きな公演です。
まさに「フェイクニュース」とかの話題からフェイクのこと書きたいなぁと思ったんですよね。何が本当で何が嘘かわからない世の中について。
見直せばきっといい方向へ運んでくれるはずです。