2017年1月25日水曜日

差別主義反対!と反トランプ運動している人が差別しているという矛盾





第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプが就任した。


当然予期していたように反トランプデモが起こっていた。
その中で生じた疑問がある。


反トランプ運動に見る差別主義批判の自己矛盾と難しさについてである。









なぜセレブによる反トランプ運動が起きているのか




出勤前にめざましテレビを見ていたところ、この話題をやっていた。

反トランプを表面しているセレブたちと、その原因についてであった。

パックンと厚切りジェイソンへ「なぜセレブたちによる反トランプデモが起きているのか」という質問をしていた。


答えとしては「アメリカでは政治的な主張をしない限り、意見がないものとされるので率先してセレブたちが主張している」「セレブや有名人が主張することで議論が起こるようになるようにしている」というような内容だった。


そして女優のニコール・キッドマンは、


「彼が当選したのだから、私たちは国として、誰であっても大統領を支持する必要がある。なぜならば、それが国の基礎になっているからだ」


というコメントをして「トランプ支持」と受け取られ反トランプ側から「ニコール・キッドマンに対して不買運動をする」という批判的な内容の意見が出ているということだ。

僕が今回話題にしたいのはこの部分である。




反トランプ派による「差別」




ニコール・キッドマンに対しての不買運動であったり、批判というのは差別に当たらないのだろうか。

差別という言葉をあらためて見てみよう。


さ‐べつ【差別】

1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」
2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」

goo辞書より



「取り扱いに差をつけること」これだけでも立派な差別なのである。


つまりニコール・キッドマンに対しての行動や言動さえも「差別」であるという自己矛盾を孕んでいるのだ。


差別は当然良いとは思わない。

だが差別という名でなくても、日常生活には何かを比較するときには必ず選別という差別をしているのだ。


「白人金髪美女と付き合いたい」


差別である


「日本の男はレディファーストもろくにしない」


差別である。


「お前んちの天井低くね?」


差別である。



差別主義批判という難しさ




別にこの記事でトランプに対して支持をしようとは思っていない。
上記の通り書いてきたが僕の中にだって自己矛盾なんて当たり前のようにある。

今回書いておきたかったのは「差別主義批判」というのは安易に掲げられるテーマではないのではということだ。

ニコール・キッドマンの件もとにかくトランプを批判したいという気持ちが先走ってしまっているようにしか見えない。

自分にとって気に食わないという物事を安易に批判してしまうのは簡単であるが、感情論ばかりが優先してしまうと説得力に欠けてしまうのではないかと考えた朝であった。


【関連(じゃない)記事】

【トランプ】大貧民(大富豪)で2が最強の理由

















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2017年1月23日月曜日

パレット歌詞解釈~泣いた月と唄う鳥の示すもの







ポルノグラフィティの中で特に思い入れの強い曲がいくつかある。
人間生きているとそういう曲が出てくるものだ。

その中でも中学時代から繰り返し聴いていた曲がある。幕張ロマンスポルノでアコースティックバージョンは聴けたけど、未だにオリジナルのバンドバージョンで聴けない曲。

"パレット"である。

ということで今回の歌詞解釈は僕の中で好きな曲トップ5に入る、"パレット"を取り上げたいと思う。


ポルノグラフィティ / パレット 歌詞解釈










変わらずそこにあるものを歪めて見るのは失礼だ




あちらこちらに対比のような比喩暗喩が散りばめられている。

しかし歌詞を紐解いていくと主張は比較的一貫していると分かる。

それが表れているのが、


変わらずそこにあるものを歪めて見るのは失礼だ


というフレーズである。

失恋という(本人にとっての)悲劇によって、いま目の前にあるものを歪めてしまってはダメであると"僕"は諭している。

例を挙げれば2番の"言葉"にまつわる歌詞がそれである。


だって知っている言葉はほんのちょっとで
感じれることは それよりも多くて
無理やり 窮屈な服 着せてるみたい


今の心情を無理矢理、言葉に置き換えようとしても気持ちを全て言い表せるわけではない。

たとえば僕はいつも長々とライヴレポを書いてきたが、それは実際に味わった感動を少しでも言葉にして残しておきたいからである。だが決して100%を言葉にはできない。

同様に失恋の悲しみも何か言葉に置き換えようとしても完璧に言い表せることは決してないのだ。


歌詞全体が伝えたいことは、辛いことがあった時に、何かに悲しみをぶつけるよりも目の前の現実をしっかり受け入れて次の風が吹くのを待とう、というメッセージである。




変わるのは世界か自分か




上にも書いた通り"パレット"の歌詞はどれも世界にあるものと自分の心情を対比させている。

"君"は世界が壊れてしまうと言ったり、月が泣く、鳥が唄うというように、まるで自分の心情に合わせて世界が動いているかのような言い方をする。

それに対して"僕"が伝えようとしていることは「君の心情が世界を変えているだけで、世界は変わらないままなんだよ」ということである。

失恋に悲しむ心によって世界を歪めて見てはならない、世界はありのまま回り続ける。

ここから解釈を広げれば「自分の心情で世界はいくらでも違って見える」とも取れる。


そう思っていると、Cメロでは突然

雨は降り続き雲に隠れたまま
泣いている月を見つけた鳥はもう
唄うのを止めてしまった


というフレーズが表れ、言ってること逆じゃないか!と梯子を外された気分であった。


しかし、考えていくと、もしかしたらCメロだけは"君"の心情なのではないかと思った。
月を泣かせて、鳥を唄わせているのは"君"の心の中の景色なのだ。

つまり他は"君"が世界を見つめる外の視点、Cメロだけは自分の心を見つめる内の視点であるということだ。

だからこそ、晴れ渡った空とは裏腹に雨に月は泣き、鳥が唄を止めてしまうのだ。
マイナスイメージになっているのは、恋に浮かれてる時の心情がこの真逆だからである。


こうとらえると個人的には凄くしっくり来て、失恋したばかりの君はまだ立ち直れない。
そんな"君"を見つめて"僕"は無理しないでメロディに身を任せればいいと伝える。

「僕が半分持ってあげるから」もそうだが、とにかく優しい男である。


……
………

あんた、誰。



主人公、何者?



さて、余談であるがこの曲の歌詞において、ずっと疑問に思っていたのがこの歌詞の語り部である"僕"は誰?ということだ。
一応断りを入れておくが、精神を病んだわけではない。


歌詞は全編を通して"僕"の視点から描かれ、失恋した"君"を励ましている。
かなり達観した視点であること。

普通に考えれば友人であったり、もしかしたら"君"に想いを寄せている人かもしれない。

しかし、晴一研究家(自称)として、それでは面白くない。

食う寝る遊ぶなど、連日の研究活動の結果、このどちらかでないかという説が思い浮かんだ。

それが「My name is love説」「オレ、天使説」である。
愛そのものが語り書けているか"オレ、天使"のように天使が語りかけているかという説だ。


全編通しての空に纏わるモチーフ、見守ること、ちょっと皮肉屋なとこ、恋愛に対しての考え方、僕はあの天使であって欲しいなと思う。

皆さまはどう思いましたでしょうか?







★歌詞解釈シリーズ



AGAIN歌詞解釈~「遥かな昔海に沈んだ架空の街の地図」とは

スロウ・ザ・コイン歌詞解釈~人生の分岐点と正解の道

月飼い歌詞解釈~東から漕ぎだした舟が向かう先

ジレンマ歌詞解釈~ジレンマが示すもの

Hey Mama歌詞解釈(+和訳) 〜あなたのパパは何者?

TVの中のロックスター、憧れと現実

THE WAYのダイアリー00/08/26に涙した理由

LiAR歌詞解釈~揺れてるばかりの記憶のあなた

メリッサ歌詞解釈~自分にとってのメリッサとは

アポロ歌詞解釈~変わらない愛のかたち探してる

Part time love affair歌詞解釈〜パートタイムの恋人

パレット歌詞解釈~泣いた月と唄う鳥の示すもの

PRIME 歌詞解釈〜変われない自分と変わらない願望

稲妻サンダー99歌詞解釈(?)〜99秒、33文字の歌詞に3000字書いた全記録

アゲハ蝶歌詞解釈~夏の夜に咲いたアゲハ蝶

素敵すぎてしまった歌詞解釈~Wonderful Tonight

ラスト オブ ヒーロー歌詞解釈~ヒーローは逃げない、一度も

夜間飛行 歌詞解釈〜「偶然は愛のようにひとを束縛する」

"君の愛読書がケルアックだった件"の歌詞が実はとんでもなくヤッバイ内容な件

MICROWAVE歌詞解釈〜Believe when I say "I want it that way"

"Working men blues"の替え歌の件についてちょっと本気出して考えてみた

170828-29歌詞解釈 赤いボタンの上の僕らのピースする

ポルノグラフィティ新曲"カメレオン・レンズ" 歌詞徹底解剖 新藤晴一文学の集大成








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2017年1月21日土曜日

戦場以上のストレス、満員電車のイライラを増長させるモンスターたち






八王子に住んでいて、都内へ通勤で通っている。

中央線を使っているが、もちろん行きも帰りも満員電車である。

7年使用してるが、満員電車のストレスはなかなかのものがある。

本気であれは寿命縮める場所だ。


こんな記事も



恐ろしい。

そんな満員電車の中、僕は行きは座ってることも多い。始発駅近いから。
それにしても、サラリーマンたちはほとんどの人が寝ている。

行き帰り往復1時間半〜2時間、週5、月20日、40年としたら途方もない時間になる。


そんな僕は電車では主にブログの記事を書いたり、本を読んだり、トイレを我慢したりしている。


というのを「時間無駄にしてるなぁ。フリーランスになれば〜」なんて語る気はさらさらない。高知に帰ってくれ。


でも、この時間を寝て過ごすのは勿体ないなぁと思ってしまう。まぁ僕がブログ記事の下書きしていたところでそれが何かに役立つかと言われたらそれまでだが。


本題までに迷子になりそうなので、本題へ。とにかく満員電車にはストレスがつきもの。

それなのに世の中にはさらにそのストレスを倍増させるような人がいるだ。

僕が7年間で出逢ったモンスターたち3人を紹介しよう。








順番抜かしババア



みんな律儀なくらいピッチリとホームで待っている。電車が来て、ドアが開く時は乗る人は脇に避けるじゃないですか。

それなのに、どことなく現れて突然列の先頭に食い込むババア。並べ。

そして、大抵そのババアは社内の人が降りきらないうちにグイグイ押し入る。バーゲンじゃねぇよここは。


それだけパワフルな姿を見せておきながら、席の前に立つと枯れ果てたような姿に。もうこの世の何もかもが信じられない。

この世に救いなんて何もないのだ。

ちなみにこの手の輩は1人じゃなくてしばしば色んな亜種になって遭遇する。



横から身体を割り込ませて意地でも座るババア







僕ではないですが、見かけたもの。

基本的に電車って座ってる人が降りると、その正面の人が座るって暗黙のルールがあるじゃないですか。

ある日、席の前で僕・OLさん・ババア(中年)の順で立ってたんですよ。それでOLさんの前に座ってた人が降りた。OLさんは当然座ろうとする。

が、そのババアはOLさんの前にスクリーンアウト。

ゴリかよテメーは。いや、まぁ限りなくゴリラみたいなババアだったが。

OLさんから席をインターセプトしたババアは満足そうに寝やがった。



『席譲ってくれてありがとう』



ある日の帰宅路、つり革を掴んでいた。

隣にはつり皮にもたれているサラリーマン。そしてその横にはババア2人組。

ある駅でサラリーマンとババア1人の前の席が空いた。サラリーマンはため息をついて座る。ババア1も座る。ババア2は立っているので、1と2が座りと立ちでべちゃくちゃ喋っていた。サラリーマンに目配せしながら。サラリーマンは気を遣ってババア2に席を譲った。

「あら、ありがとうございます」なんて口では一応言いつつドカッと座る。

これ以上「ドカッと」という比喩がピタリと当てはまることは今後ないかもしれない。


そして1と2は今日の美味しかったランチや遊んできたことを、音楽を聴いてたはずの僕にすら聴こえるくらいの声で話出した。

疲れてるのに席譲ったサラリーマンが居たたまれない。帰って早く休んで欲しい。

頭の中でずっとミスチルの"雨のち晴れ"が流れてた。


いかがだろうか。

もしかしたら、こんなモンスターに苦しめられた経験がある人多いんじゃないだろうか。

ただでさえストレスが乗車率とともに上がる中さらにストレス感じたくないものである。

サラリーマンたちよ、この先も満員電車という戦場で共に頑張ろう。








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2017年1月19日木曜日

【疑問昔話】浦島太郎の教訓は、ロミオとジュリエットを超えたラブストーリー





前回『桃太郎』の疑問を書いた際に「次は浦島太郎」と書いた。

僕のブログを読んだ人なら分かるかもしれないが、僕は大抵そう書いたまま丸投げしている機会が多い。
ほとんどの場合は単純にそんなことを書いたことも忘れているからである。


しかし今回はたまたま思い出したので書くことにしよう。そして調べてみると僕は『浦島太郎』という物語を間違って受け取っていたと判明した。


僕の中ではバッドエンドだと思っていたばすの物語が本当はハッピーエンドだったのである。










浦島太郎のバッドエンドおち



『浦島太郎』といえば、



いじめられてる亀を助ける

→お礼に竜宮城に連れてかれる

→乙姫さんにメロメロにたりうつつを抜かす→帰り際に玉手箱を持たされる

→陸に戻ると実はとんでもない時間が経っていた

絶望して禁断の玉手箱を開けると眩しき光と共に封印されていた"古の時"の波動でウラシマは悠久の時を経てその姿を変容してしまう


くらいなもんですね。

子ども心に疑問だったのが、この話から何を学べばいいのだろう、ということであった。

亀を助けたはずのウラシマ、じゃなかった浦島があまりにも可哀想ではないかと。


おそらく教訓を得るようなお話ではないのだが、子ども向けの作品として桃太郎と二大巨頭を張っているのだから何らかの意味がきっとあるはずである。


そう思っていて過ごしていたが、世の中にはそうそういじめられてる亀を助ける機会などないので早々に忘れていた。
いや、亀などレースの最中ハンデとして寝て待っている可愛いうさぎさんを起こさず勝利をもぎ取るような鬼畜なので、うさぎ好きの僕は亀など助けることはしない。


とにかく。『浦島太郎』にはきっともっと(「きっともっと」ってお弁当屋みたいだな)深い意味があるはずだと思って考えていた。

最近は「闇金ウシジマくん」のドラマの再放送見すぎて「亀はキャッチ、竜宮城は…の隠喩説」まで考えたけど、さすがに子ども向けじゃない。


考えても埒があかないので、ググることにした。
色々調べていくと、とても興味深いことが分かった。

浦島太郎は、実はおじいさんになっただけではなかったのだ。


浦島太郎は、になったのだ。



神となった浦島太郎




上のは、中二病を引きずっているわけではない。元々の物語がそういう結末なのだ。

本来の話だと、まず亀はいじめられてない。

浦島太郎は漁師であり、釣りの最中で亀を釣ってしまうのだ。良かった、いじめっ子なんていなかったんだね。

優しい浦島は亀は万年生きるからと放してやる(というか漁師だから亀以外は助けるどころか他の魚を乱獲しているのはいいのか?竜宮城に鯛とかいたろ)

そこから大同小異物語は違うとしても、乙姫さまにメロメロになりうつつを抜かして玉手箱を受けとるまでは概ね同じである。


違うのは玉手箱を開けてからだ。


浦島太郎は、になるのだ。


鶴となり飛び立ち蓬莱山で仙人の一員となったのだ。そして、乙姫さまと共に祀られるようになった。

(神と仙人の境目はちょっと微妙であるが、ここでは神と押し通す)



ロミオとジュリエットを越えた身分差の恋




そう、これは浦島と乙姫の恋愛物語なのだ。

そのキーアイテムが玉手箱なのである。これは神と人間という、決して埋まることのない身分差の恋を繋ぐものであったのだ。


当然ながら神と人間が結ばれるわけにはいかない。
ロミオとジュリエットどころの騒ぎではない。


最初は浦島がなかなか陸に帰りたがらなかったのかと思っていたが、実は引き止めていたのは乙姫だったのである。一途である。周りには魚か亀しかいないもんな。


だからこそ乙姫は浦島を鶴(仙人)にしたのだ。
その優しさに免じて、ってかアイツは散々魚を漁してきたんだぞ。いいのか?

ともかく。そうしてようやく2人は結ばれることとなったのだ。


この結末であれば、納得もできないだろうか。


この話は決して因果応報の話ではない、神と人間の究極のラブストーリーだったのだ。


It's a true love


月9ドラマ化決定。


【関連記事】

【疑問昔話】桃太郎のおばあさんはどうやって川から桃を拾い上げたのか















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2017年1月18日水曜日

星野源の実家に迷惑かけて閉店させた奴はファンとは呼ばない





少し前の話題になるが星野源の実家のjazz喫茶が閉店したそうだ。


理由は「聖地」としてファンが殺到したことを起因としている。

「混雑による近隣への配慮のため」とされているが、やはり心ないファンの迷惑行為も少なからず影響していたようだ。


音楽業界に関わらず、有名人にとってはつきまとう問題である。


今回はあくまでも音楽好きから見た目線で書こうと思う。








アーティストの実家問題




気持ちは分かる。

確かに大好きなアーティストのルーツがお店としてあるのならば、行ってみたくなるのがファン心理というものだろう。
それは僕は否定しない。

しかし、結果的に迷惑行為に繋がったのであれば、それはアーティストにとっては迷惑なだけである。


そもそも実家に行くことをあまり良しとしてないアーティストだっているのだ。Mr.Childrenの桜井さんは以前「これ以上実家にファンが行ったら活動を辞める」というような発言をしていたりする。


前に昭仁さんが会報で「実家について、父親も年なのであまり人がたくさん来ると大変だから、なるべく行かないで欲しい」というようなことを書いていた。記憶を頼りに書いたのでニュアンスは少し違うかもしれないが。
とても大人な対応の書き方だし、昭仁さんの性格もあるからとても柔らかく書かれてはいたけど。


一部を除けばアーティストの両親や親戚はあくまでも僕らと同じ一般の人である。それはたとえお店をしていようと変わらない。

だからこそ、配慮が必要ではと思うのだ。
※もちろん一部にはそれを利用している人もいる


因島はもはやポルノグラフィティを観光の一部として売り出しているので、あくまでも実家という点である。


ファンはアーティストの写し鏡




「君たちがいたからやってこれました」


ポルノに限らずこのような発言をライヴなどでアーティストから聞いたことはないだろうか。

ファンはアーティストにとってはなくてはならない存在である。

だからこそ、ファンの行為はアーティストそのものと結びつけられてしまうのだ。



人間というのは単純なものなので、一部の人の印象で全体を決めつけてしまいがちである。


よく云われているが「一部のファンの心ない行いのせいでファン全体が悪く見える」というのはまさにその典型だ。僕がゆとり世代というだけでひとくくりにされるのとも似ている。全くゆとり教育受けてねー。


またミスチルを例に出すと2013年のサマーソニックでMr.Childrenのファンが出番までの間前方エリアでじっと居座る、座り込むいわゆる「地蔵行為」を行った。






この行為は当時だいぶ叩かれていた記憶がある。そして結果的にミスチルの印象を悪くしたのだ。「サマソニ  ミスチル」で調べるとまず先にこの問題が出てくるほどだ。
このように一部のファンの行いが全体の評価を貶めてしまうという事例は本当にたくさんある。これは音楽だけに関わることではない。


星野源の件についてもちゃんと、混んでたら長居しないようにしたり、常連の人に配慮したりしていればもっと違った結果になったかもしれない。
周りを見ればあちこちで起こっているから忘れがちだけど、飲食店って開業するのも閉店するのも当事者にとっては人生のかかった重大な決断なのだ。


あまりに行きすぎた行為はアーティストにとっては迷惑でしかない。

「好きだからこそ」は構わないが、それではストーカーの言い訳と変わらないじゃないか。何をしてもいいという訳では決してない。


チケットの転売の件とかもそうだけど、自分が良ければって考えてばかりはいられない。
ファンがアーティストの支えであるなら、支えがしっかりしなくてはいけないのではないだろうか。

大切なアーティストなら、しっかり迷惑かけず応援してあげませんか。














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